「きゃは」文化についての考察―文化系女子と体育会系女子の境界線―
わたくしの身の回りで発覚した、とある偉大な発見について、ここに書き記しておきたいと思います。
それは、女子会を計画している最中に起きました。
わたくしを含め、8名での女子会の開催について、
社内メールでやりとりしていたときです。
そのうちの一人が、メール内で「きゃは」というフレーズを発したのです・・・!
すかさず、わたくしを含めた数名が敏感に反応しました。
「きゃは」って・・・。
波紋は広がり、議論は展開しました。
結果、ある線引きがあることが次第に明らかになりました。
「きゃは」について、
「あえて言ったりはしないけれど、状況によっては、なくはない。ありえる。」という見方と、
「いかなる状況下においても、自分の選択肢に存在しない(引き出しにない)」という見方の
2通りに分かれたのです。
身体感覚にも近いもので、殆ど迷うことなく、分かれました。
ここに、「きゃは」内包派と、「きゃは」非内包派、あり。
さらに突き詰めると、
「きゃは」文化とは、
一体、どこから発祥(発症)した文化であるのか。
疑問は湧いてきます。
当初、その境界線は世代によるものかと思われましたが、
メンバーの年齢がバラバラだった為、
内包派メンバーの年齢と、非内包派メンバーの年齢を考察したところ、
どうやら世代によるものではない、ということはすぐに判明しました。
では、一体?
内包派のメンバーの共通点を見つめました。
すると、浮かび上がってきた事実。
全員が体育会系出身者だったのです・・・・!
鳥肌がたちました。
そう、雷に打たれたような衝撃です。
文化系出身者は「きゃは」を内包しなかったのです。(何の話だ)
そこまでいって、自分を見つめ直してみました。
わたくしの中には「きゃは」は無い。
どうやっても、自分の中から「きゃは」が出てくることはない。
しかし、
「えへ」はある。
ということに気づきました。
(日常で使う事はないけれど、おそらくこのブログ内では発している)
実際に口に出して言うことは、そうそうないけれど、
わたくしの中には「えへ」は確実に存在している。
わたくしは「えへ」内包者である、ということ。
そして、
同じく文化系出身者である先輩(9コ年上)に確認すると、
やはり、「えへ」なら引き出しにあるね、という回答だったのです。
さらに、
体育会系出身者は、逆に「えへ」に拒否反応を示すこともわかりました。
ひとりの人間内で「きゃは」と「えへ」が共存することは、ない。
という新たな事実も浮かび上がったのです。
欲を言えば、もう少しサンプルデータが欲しいところ。
真実に一体どれだけ肉薄出来ているか、ああ、胸を張って断言はできません。
しかしながら、こうした一定の結論に至ったことに、
ある種の充足感をもって、この考察を収束させていただきたいと思います。
<結論>
おそらく、日本の女子は2種類に分かれており、
「きゃは」あるいは「えへ」のどちらかだけを内包している。