ささやかな暮らしの知恵帖

ちいさい発見と美味しいたべものがあればいい、アラサー女の知恵とつぶやき。

「きゃは」文化についての考察―文化系女子と体育会系女子の境界線―

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わたくしの身の回りで発覚した、とある偉大な発見について、ここに書き記しておきたいと思います。

 

それは、女子会を計画している最中に起きました。

わたくしを含め、8名での女子会の開催について、

社内メールでやりとりしていたときです。

そのうちの一人が、メール内で「きゃは」というフレーズを発したのです・・・!

 

すかさず、わたくしを含めた数名が敏感に反応しました。

「きゃは」って・・・。

波紋は広がり、議論は展開しました。

結果、ある線引きがあることが次第に明らかになりました。

 

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「きゃは」について、

「あえて言ったりはしないけれど、状況によっては、なくはない。ありえる。」という見方と、

「いかなる状況下においても、自分の選択肢に存在しない(引き出しにない)」という見方の

2通りに分かれたのです。

身体感覚にも近いもので、殆ど迷うことなく、分かれました。

 

ここに、「きゃは」内包派と、「きゃは」非内包派、あり。

 

さらに突き詰めると、

「きゃは」文化とは、

一体、どこから発祥(発症)した文化であるのか。

疑問は湧いてきます。

 

当初、その境界線は世代によるものかと思われましたが、

メンバーの年齢がバラバラだった為、

内包派メンバーの年齢と、非内包派メンバーの年齢を考察したところ、

どうやら世代によるものではない、ということはすぐに判明しました。

 

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では、一体?

内包派のメンバーの共通点を見つめました。

 

すると、浮かび上がってきた事実。

全員が体育会系出身者だったのです・・・・!

 

 

鳥肌がたちました。

そう、雷に打たれたような衝撃です。

文化系出身者は「きゃは」を内包しなかったのです。(何の話だ)

 

そこまでいって、自分を見つめ直してみました。

 

わたくしの中には「きゃは」は無い。

どうやっても、自分の中から「きゃは」が出てくることはない。

 

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しかし、

「えへ」はある。

 

ということに気づきました。

(日常で使う事はないけれど、おそらくこのブログ内では発している)

 

実際に口に出して言うことは、そうそうないけれど、

わたくしの中には「えへ」は確実に存在している。

 

わたくしは「えへ」内包者である、ということ。

 

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そして、

同じく文化系出身者である先輩(9コ年上)に確認すると、

やはり、「えへ」なら引き出しにあるね、という回答だったのです。

さらに、

体育会系出身者は、逆に「えへ」に拒否反応を示すこともわかりました。

 

 

ひとりの人間内で「きゃは」と「えへ」が共存することは、ない。

という新たな事実も浮かび上がったのです。

 

 

欲を言えば、もう少しサンプルデータが欲しいところ。

真実に一体どれだけ肉薄出来ているか、ああ、胸を張って断言はできません。

しかしながら、こうした一定の結論に至ったことに、

ある種の充足感をもって、この考察を収束させていただきたいと思います。

 

<結論>

おそらく、日本の女子は2種類に分かれており、

「きゃは」あるいは「えへ」のどちらかだけを内包している。